八日目に、山ばと二羽、または家ばとのひな二羽を取って、会見の幕屋の入口に行き、主の前に出て、それを祭司に渡さなければならない。
八日目に、幕屋の入口に、山鳩か家鳩のひな二羽を持って来て、祭司に渡す。
八日目に、彼は二羽の山鳩か家鳩を調え、臨在の幕屋の入り口で、主の御前に出て、それを祭司に渡す。
もし主にささげる供え物が、鳥の燔祭であるならば、山ばと、または家ばとのひなを、その供え物としてささげなければならない。
男の子または女の子についての清めの日が満ちるとき、女は燔祭のために一歳の小羊、罪祭のために家ばとのひな、あるいは山ばとを、会見の幕屋の入口の、祭司のもとに、携えてこなければならない。
もしその女が小羊に手の届かないときは、山ばと二羽か、家ばとのひな二羽かを取って、一つを燔祭、一つを罪祭とし、祭司はその女のために、あがないをしなければならない。こうして女は清まるであろう』」。
そして八日目に山ばと二羽、または家ばとのひな二羽を携えて、会見の幕屋の入口におる祭司の所に行かなければならない。
神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである。
この御旨に基きただ一度イエス・キリストのからだがささげられたことによって、わたしたちはきよめられたのである。
しかるに、キリストは多くの罪のために一つの永遠のいけにえをささげた後、神の右に座し、
彼は一つのささげ物によって、きよめられた者たちを永遠に全うされたのである。
このように、聖にして、悪も汚れもなく、罪人とは区別され、かつ、もろもろの天よりも高くされている大祭司こそ、わたしたちにとってふさわしいかたである。